多様性というものを学ぶことで、ある事象について生起するものの広大な可能性について考えることができるようになり、さらには、生起したもののすでに失われてしまったもの、そして未だに生起すらしていないものについても思索を展開することができるようになる。さらにさらには、その広大な可能性の中で、目の前に存在している一つの生起した事象、実在について、その意味、意義、貴重さ、というものを、畏敬の念にも似た感情を伴って思索することができるようになる。
そんなことはいろいろなことに書かれているのだろうけれど、今朝、たまたま、なぜこの音は、ここでこれなんだろうか、あれではないのかしら、などと思っていて、突然心底合点がいった。生態系のもつ多様性に意志があるかということは問わなくていい。とにかく、あるものだけがそこにある、というあの言葉の怖さを味わうことができると言うこと、でいい。
でも、これって、 常なるものを知る でも もののあはれを知る でも良いってことだな。それもなかなかよろしい。