Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

疾走感

論文は一つ一つの文を丁寧に重ねて,,,ということを一応心がけてきた。


きた。


が,これではだめなのかと。


一つ一つの文の意味する内容の重みをもっともっと持たせること。その努力が足りなかった。ただ,書いていただけだった。文を並べていただけだった。そう思う。それは議論の流れを生まない。誘導というのは,道を造るだけではダメなんだ,矢印を示すだけではだめなのだ,いっそ,ベルトコンベアを,エスカレーターを引いて,そこに読者を,読者の思考を乗せなければダメなのだ。


それが分かっただけでも,本当によかった。自分の様々な能力と状況を考えれば,そういうレベルでの仕事はあきらめる,ということになると思うけれど,それでもよかった。本当によかった。


議論のもつ疾走感,一つ一つの文の重い流れがもたらす重厚な疾走感,そういうものがあるというのを,話をしていてわかってきた。言葉になってきた。そうだ,そうなんだな。あれだ,重量級の8+ががつんがつんとパドルを漕いでくる感じ。あのときの風,水の音。あれだ。重い圧倒的な疾走感。そうか。こういう言葉を引き出してもらえるなんてありがたいことだ。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/