Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

ゆっくり時間を流しながら

採点ミス発見。危ない危ない。きちんと考察できている人が残念ながら少ないが、できている人に加点。これでほぼ終わりか。


異国の人に渡したDMPに入っているライブラリを自分でも聴きながら、同じ音が違う大陸の何処かで流れているのかもしれない、とふと思う。井上陽水の歌声でセミの鳴き声も少しゆったりと希釈されていく。


作ってもらった水だしコーヒーが美味しい。柔らかい。


やっていること、やってきたことが全て無駄に、なんのつながりも意味もないように思えることがある。いっそ諦めることが一番の解なのではないのかしら、と思うことも、毎日のようにある。自分の愚業を思い出して恥ずかしさで眠れないことも。そして、何も出来ていないし、何も出来やしないのではないか、もうどうだっていいや、などと。

ただ、一方で、確かに、何か積み上がってきたものもあるのかもしれない、と思うこともある。学生さんに貰ったメイルが携帯に残っていて、いや、残していて、それを眺めながら、自分の座標を再確認する。流れてきた楽曲のいつものコード進行で鳥肌がたってホッとするのと同じ、ちょっと情けない営み、、かもしれない。しかし、自分の座標を確認させてくれる事象はそうそうない。大きな挫折か小さな達成か。両方とも、僕の携帯は、恐ろしいことに覚えている。

しかし、確認したとはいえ、軸はどこに向かっているのか、、、そして自分のベクトルは何処に?

コーチングは命がけでやらねばならないと諭した、あまたいる僕の師匠の一人は、今は同じような研究の世界にいらっしゃるけれど、教職に携わることはお考えにならないのだろうか?聞いてみたいような、怖いような。


いけない、数式に戻らねば。いや、数式の細かい所はいいのだ。問題は概念なんだ。うーむ。ようやく4章に入ったが、、、

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/