いつも言うことだけれど、たとえば、卒論生はまだこの時期難しいとしても、修士の人は、この人に一度会ってみたい、と思うような研究者が浮かばないようであれば、それはかなりまずいのですよ。わかっていないことの表れです。
音楽の好みを明らかにするように、軽やかに、論文の、仕事の、ある研究者のおこなってきている仕事の好みも明らかに出来ないといけない。というか、こういうものについては、いけない、いい、の問題ではなく、自然となっているべきものであって、もしも自分がそういう状態でないのであれば、本気でいろいろ考え直した方がいいのだと思う。こういう方向性の物言いはあまりしては来なかったけれど、必要なのだろう。