Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

成長するために

成長するために、でも、成長させてもらうために、でも、もう構わないけれど(そんな他力本願では本当に困るけれど)、とにかく必要なのは、「自分には足りないものがある」という自覚だよね。それはわかるよね?さすがにその自覚がない人には、成長させてあげたいと思っても、チャンスはすべて受け取られずに流れてしまうから。この点は良いよね?


じゃぁ、問題は、どうやってその自覚を持つか、になるのだと思う。自覚という言葉が示すように、自分で「はっ!」としてもらうしかない。わかるかな、自分で、なんだよね。他人がどういったって、環境がどうであったって、自分が気づくしかない。当たり前のことだよね。


でもね、当たり前のことをすることは決して簡単なことじゃない。


たとえば、自分に足りないものがあるということを口にだして言おうとするときの抵抗感というのはかなりのものだ。抵抗感がないのであれば、それはうわべだけの言葉であって、本心ではないのじゃないかな?自分の不足を認めることは簡単じゃないはずだからね。


大人になると言い訳はとても簡単に準備できるものだ。忙しいから、とか、他のことの方が大事だから、とか、あの人とは違うから、とか。


でもね、わかるでしょ。そうやって逃げていても何にもならないと言うこと。逃げ続けるのだ、と胸を張って言えるのであればいいとおもう。人生は短い。すべてのことに全力を尽くすことはやっぱり無理だから、この点については、もうあきらめて、逃げちゃいます、というのは構わないと思う。ただ、そのときに、逃げていない人が、逃げなくてもいい人、ではなく、逃げないように努力している人だと言うことだけは忘れてはいけないと思うのだ。そういう認識はすべての努力を止めてしまう。あきらめ方にも積極的なあきらめ方と、悪い方向にすべてを持ってゆくあきらめ方があるんだよね。


自分に足りないところがあるということを自覚することは、謙虚さにつながる。謙虚さは、自分が足りないという自覚と、相手が素晴らしい努力をしているという認識の2つを同時に表現していることに、同じように謙虚な人は気づくし、謙虚に考えることができない人はいつまで経っても気づかない。利己的に、自己中心的に自分が成長したい、と思うのでも構わないから、でも、そのためには、自分が足りないものを有していると言うこと、その認識に必要ないろいろなことに思いをはせて欲しい。ただひたすらに利己的に考えていって構わないから。利己的に、自分を大事に、自分中心に考えていて構わないから、その到達したところのおぞましさに触れたときにも、自分に対するプライドを捨てずに、そこで逃げずに、立ち止まって、ごくりと生唾を飲んで一歩踏み出して欲しい。そこで突然、他人のことを中途半端に考えるような言い訳はあまりにもみっともないよね。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/