Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

こういうグラフが描きたい!とおもえること

グラフは手で描けと最初に言われた(守っていないけれど)。卒論の12月の頃だったろうか。裸電球の揺れる、W先生下宿宅で。


データの分布が身にしみてわかる
どのように表現したいか一生懸命考える


ということからだと思う。今だからわかると言うことではあるけれど。


某e**elのグラフをつかってのみ、論文を書いているのであれば、とりあえず、ちょっと立ち止まって考え直してみることをおすすめする。ほんとうにその表現で良いの?それが本当に示したい形なの?最終形でいいの???


最低限のラインとして、「あの論文で描いているようなグラフが描きたい」という思いをもっているかどうか。このcriteriaは、いろいろな側面で大事だと思う。そういう言葉が出てくる状態と出てこない状態の人がいて、その人から作り出される文章を精読するとしたとき、尽くされている議論の質は、乱暴な言い方だけれど、文章を読まなくてもほぼ断定出来てしまう。どれだけ論文を読んでいるか、どれだけ自分の表現しなければいけないポイントをつかんでいるか、などなど、様々な下支えの時間がありありとわかってしまうのだ。


自分の論文を見直すと、いやいや、言うのは簡単だけれど、なかなかなんとも、、、。しかし自戒を込めて。


おお!ジャムおじさんがええこと書いてはる!
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Entry/1365/


比をとることはこわいよ〜情報を失うよ〜〜2つ情報があるのを1つにまとめることで、失う情報以上のものを得ることができるの〜〜


これは毎年いっていること。例えばここから本気で考えてみるといいのだけれど。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/