山に入るとき、どこが調査地か分からないまま進んでゆくのはしんどい。
研究も同じ。特に卒論は、一体何処に向かうのか、前も後ろも分からないまま、もがくことになる。
スポーツでも習い事でも同じだが、先達が見つからない時が一番しんどい。そうであれば、「指導者」としては、そこを助けてやることが大事だろう。そういうことのできる、そういうことに意識を傾けることのできる人に、僕は大学のクラブでようやく出会うことができた。助けることは本当にはできないけれど、こうだろうと僕は思っている、そして一緒に考えようという、とても謙虚な立場をしっかりと取ることができる人々だった。
今やっていることは、この後こう発展していって、恐らくこんなことが議論できるはずだ、そして、その議論の質は今の研究分野の発展度合いからいって、数年たったとしても、十分すばらしいものになるはずだ、と思っている。というように、もちろん僕の方だって100%どころか30%くらいしか見通しは立たないわけだけれど(そしてそのことは必ず口にするけれど)、それでも、進むべき道がわかっているような気がするだけで、だいぶんほっとするものだ。
なんにせよ、自分の立ち位置を客観的にみることは難しい。内部観測ということを考えればそんなことは難しいどころか不可能なのかもしれない。しかし、客観的に自分の立ち位置を見用とすることは、少しでもうまく、責任を持って考えることができるようになるためは、どうしても必要な、身につけるために努力すべき事柄だと思っている。
そんなことを液体窒素を汲みながら考えていた。今日も始発電車でしたよ。