Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

すげえ

生態学研究センターのonline送別会を抜けさせてもらって、とある相談を受けていたのだけれど、ほんますごい。ほんまよくやってるよ。ほんま。すごいわ。頑張ってほしい。ほんま頑張ってほしい。

 

 

ほんまほんまばっかりだけど、本当にすごいと思うよみなさん。がんばれ!!!!

しっかしまぁ

おれが考えるようなことはみんなとっくのとうにやってるよな。。。論文で10年前だったら着手したのは少なくとも15年前じゃない?

 

残っているのは、わかっているけどちょーめんどうだからやらねー みたいなところだけかな。。。。しかたねーか。

責任の取り方

責任の取り方がわからなくなっている、最終手段をとるしか謝り方はないのかしら、とよく言われるけれども。。。。辞めます、ってのも無責任に言っているつもりはないんだけれどもなぁ。。でも、まぁ、これからは一つ息をのんでから、、、一つじゃ足りないだろうから五つくらい飲んでから答えることにしないといけないよな、と反省しています。

 

 

論文査読: とても著名なかたが共著者に入っているのに、どうしてこういう形式(そして内容)になっちゃうのかしら、、ということがやっぱりありますよね。。。それでも苦しみながら査読をあげたら、それへの返信が、これまた何をどこにどう改訂しているかわからなくて、、、、。私は、この原稿ではなく、自分の学生さん、研究者さんたちに時間を使いたいのでございます!って叫びたいけれど、引き受けた責任は全うします。はい。がんばります。

 

 

論文共著: ほんまこの頃「ごめんなさい、責任ある対応が時間的・能力的にできないと思うので、このお仕事、よいと思うけど、抜けさせてください」ということがかなりある。Liu et al. 2018 PNASの仕事の時に、共著者になってください、とお願いしたとある人に「いや、ごめん、ちょっと無理なんだー グッドラック!」みたいにさらっと言われたのが印象に残っていて、、、、いや、正直、あの論文は魂込めていたし、時間もものすごくかけていたし、いい仕事だと自負していたところがあったのだけれども、すごくあっさり「いや、共著にはなれないわ、がんばってねー」みたいな感じで、すごくびっくりして、そしていいなと、すごいな、こういうの、っておもったのでした。どれだけいい仕事=参加するのが魅力的=ヤクザな言い方すれば業績が上がる、という状況でも、自分が対応できないのであれば、共著者からは外れるべきだよな、、とおもってこの5年くらい、できる限り共著者として頑張ろうとしているけれど、他にもいろいろな大事なことがあって、外れてる。

 

そういうことがあるのだけれど、この間、英語でのやりとりの中で、自分は軽ーく「納得した」みたいなことを書いてしまっていて、でも、ごめん、D論もあるだろうし、おれがぎゃーぎゃー細かいところに突っ込み入れて論文投稿とか遅れるのはいやだから、それもあって抜けるよ、とか書いていたのだけれど、大事な部分については納得したんだから、抜けちゃだめでしょ、もどってこい、って怒ってもらえた。確かに書いてるわ。。。。そしてその書きっぷりは自分としては、日本語のニュアンスとして、いや、わかるけどやっぱ無理やわ、って感じなんだけれど、英語で見たら、いや、なっとくしとるやん、ってことになっていて。。。英語だから、、っていう言い訳をしたいけれど、それはだめやん、その前提あかんやん、、って考え直して、、、、、ほんまそうだよな。。。ごめんなさい、って返信して、さらに改訂されてきている原稿にまた取りかかるけれど、でも、そうだよな、、、って。ちょっとうるうるしながら(怒ってもらえるのは本当にありがたいよな、、、いや、おこってはないんだろうけれども)、がんばります。これ、「えー」って感じもするけど、一方では「わーすごー」って感じでもある仕事なんだよな。。。そこでのメイルにも書いたけれど、もう、陸上窒素循環について、魂込めて書く論文は数少ないと思っているので(残り時間を考えても)、書くというかコミットする、と決めた論文にはこれまで以上に頑張らないといけない、という当たり前のことでありました。時間的には週末の夜しかとれないけれども・・・・・・

 

 

PCのメンテナンス中なのでぐだぐだかいちゃいましたとさ。

一般誌

「よい研究をする、ということは当たり前のことなのだけれど、そのアウトプットとして一般誌を目指すと言うことをつねに意識しないといけないのではないかしら?」

 

 

ということをぼそっと言われたのでした。いつもは接点のない先生との作業中。

 

 

その先生の研究分野はとても遠くて、理解することは難しいけれど、でも、たとえばPNASに何本も出していらっしゃった。で、なんとなしに、なんとなしにだけれど、あまり学内、少なくともその部局内では評価されていない、という感じだったのだと思う(ご本人がそういう感じでお話なされていたので、客観的にはわからないけれども)。

 

 

そんなもんかなぁ、と思ったのだけれど、やけにずしりと響いたのでした。ずっとずっと昔の話なのだけれども。一般誌、って、いったって、、、自分の分野ではNature、Science、PNAS、、、、しか、ないよなぁ、、と。でも、確かに、たとえば異種格闘技戦がこれから増えるときに、そういうところに論文を発表してゆくということは、もちろん、インパクトファクター的にはもっと高い、専門的な雑誌があるだろうけれど、それとは別に・平行して、大事なんだろうな、とぼんやり思っていた。

 

 

今ではもうちょっと、さらに重く感じている。できるできないはちょっと別にして、とにかく目指すその指向性は、常に意識しておくべきだろうなと思う。全てではないけれど、でも、頭には置いておかなければと。それは自分が分野外の方々の研究教育活動などを「評価」することが格段に増えたことと無関係ではなくて。

 

 

Top 5%雑誌、なんてのを検索していたりするので(なんてお仕事・・・)、変に違う分野でのJournalのインパクトファクターだけは詳しくなりつつあるけれど、インパクトナンチャラなんてどーでもいいってことはしみじみわかっているわけで、、、そのときに、ああ、一般誌、、、ってなんとなくににじみ出てくることがある。結構ある。ああいわれたなぁ、、って思い出すのです。

 

 

でも、一般誌、ってやっぱりハードルがむちゃくちゃ高い・・・まぁ、それだからこそ、一般誌、広く読者に向けて発信するに値する内容、ってことなんだろうから、当たり前なんだけれど、やっぱり難しいよなぁ。。。論文投稿することすらなかなかできないよなぁ、、、

 

とかとか。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/