Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

いろいろある

本日は年休をいただいていろいろやっつける予定が、、、なかなかね、、、

 

いくつか、かなり重い話があり、朝から頑張っていたのだが、しょげてというか、不安というか、心配になって予定したHP回復イベント(ラーメン食べるとか、そんなことだけど)はほとんどできず。大丈夫かなあ、、心配だなあ、、、

 

1/17のことを思い出して、少し下を向いていたのもある。

 

そんななか、論文をAIの力を借りながら読んだ(休みなのによくやるわ)。ほんまは書かねばならないのだけど、どうしてもダメだったんで、読まねばならぬと思い持ち歩いていた五本(移動だけでぼろぼろ、、、)を読んでみた。

 

一本、感動で泣けるほどの内容だった。今日はいろいろ感傷的なんだというのを別にしても、これはすごい。シンプルな枠組みを組み合わせ、その枠組みの中での振る舞いをなんとか定量化して(ここはかなり大変かつ苦しいとこではある)、得られた結果が意味するところは、、、数多くの疑問が一元的に解けていて、、、もちろん甘いところはあるにせよ、それは今後より細かくやっていけば良いだけだよね、と思わせる議論の質、最後には今後の展開予想まで。

 

ほんま感動した。卒論からのさまざまな謎が解けつつある、というか、本質的には解けてる、この論文で。

 

あまりに感動したので著者にメイルしてみた(これくらいしなきゃお休みの日にならないや、と)。下手な英語だからAIに直してもらったけど、やっぱりかなり変えた。自分の言葉じゃないからダメだわ、ってところは、中学生みたいな文章だけど、いいや、って送った。

 

すぐに今オフィスからはなれてますーな自動返信がきて、ああ、そのうちお返事来たらラッキーだな、と思って、お風呂入ったらメイル来てた。嬉しいなあ、、こっちのこと知ってたってのはリップサービスだろうけど、でも、とにかくすごい!ってのは伝わったみたいでよかった。今年からラボを持つのか、、すごいなあ、、、ラボマネ募集してるのか、、

 

そのあともほんまいろいろあって、なかなかに苦しい一日だけど、思い切って相談したらすごい大人なソリューションを提示されて、ほんまや、、考え付かんかった、、、相談して良かった、、、と助けられたときともに、この人みたいにならなあかんよな(無理だけど、せめて当分はむり、ぐらいに頑張らないと)とか思っているのが今2230。明日も5時には家を出ねばならんし寝なければ。

 

いろいろやなあ、、、

何かが降りてきて消えていった

人生で何度か、すごいものが降りてきた、と思った瞬間があった。

 

実は、前回の授業、朝7時頃に6号館の4階のロービーで、寒い寒いと言いながら携帯で予習していたときに、あれ、今回の授業(これまでの振り返り)、これは、すべてが繋がっているではないか、と突然思ったのでした。これは、どうしたことか。そんなにうまく繋がるのか、そんなにいろいろと繋がるように準備できていたっけ。

 

心拍数が上がって、手が震えた。

 

落ち着こうと缶コーヒーを飲み干し、缶を洗いに行って捨てた。そうしたら、この興奮がどこかに飛んでいってしまった。

 

まただよ。。。。また消えちゃった。。。。

 

自分が「わかった」と思ったあの瞬間を取り戻すために、授業では頭をフル回転してあれこれ話したのだけれど、残念ながら取り戻せなかった。その後は取材を受けたのだったけど、そこでも、別の話題ながらも、なんとかあの瞬間は取り戻せないのかと話しまくったのだけれど、だめだった。文字おこしもできるようにしたけど、だめだろう。

 

全力でよくわからないことをやったのと大いなる絶望で、その後は全く頭も体も動かず、帰って倒れるように眠ってしまった。本当に精も根も尽き果ててしまった。毎回授業をやったら何も残らない状態のすっからかんだけど、先週は輪をかけてひどかった。

 

断片的な要素が、ふと高い視点を得て、違う階層で意味を持って繋がることがある。それが1つだけでなく、突然何個も繋がることがある。確かにある。世界ってこうできているんだ、と断定しちゃいたくなるようなときがある。データがそれを示してくれることが10年に1回くらいあるのが、自分たちの職業ではありがたいこと(だけど、それも間違いだったと新たな知見により上書きされているけれど、それは大変大事なこと)。

 

次に降りてくるまで待てるかなぁ、、と思いながら、とにかく目の前のよしなしごとをなんとかしていこう。。。。

「大切」と思われているものを丁寧に考え直すこと

誰もいなくなった土曜日の午前、鳥羽さんと古賀さんのイベントを聞いていた。

 

鳥羽和久×古賀及子「子どもと私の“観察”のしかた」『「学び」がわからなくなったときに読む本』(あさま社)『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)W刊行記念

https://bb250109a.peatix.com/

 

それぞれの著書でもそうだけれど、この対談でもいろいろな視線の向け方と、その裏にある

 

『「学び」がわからなくなったときに読む本』でまず衝撃的だった部分は、ここでも読めるこの部分。

 

toyokeizai.net

勉強の価値を信じない人のなかには、「学校で習ったことなんて何も覚えていないから、意味がないよ」という人もいます。でも、そもそも大人は、自身の過去の勉強が現在どう役立っているかを認識できるほどの高い解像度で生きていないのです。

 

このようなことは鳥羽さんは今までもいくつかおっしゃっていたのだけれど、この言葉の強さは衝撃を受けて、ここで何日も止まってしまったのでした。そうやん、そもそも勉強することの価値を、どう役立っているかを自分がわかるだけの感度がないってことに、どうして気づかなかったのか。気づけなかったのか。気づけないけど、価値があるでしょ、って進むので良いんじゃない?と。

 

そして、今回の対談での古賀さんの発言、

 

「思おうと自分に揺さぶりをかけたときに出てくるものの貧弱さに本当に絶望している」

 

ここは本当に震えてしまうくらい感動した。

 

勉強が役に立つ、とか、自分の感情が大事、というような、問い直すことも難しいような「当然」そしてさらに「大切」と思われているものに対して、大切だからこそ、見つめ直すこと、捉え直すこと、それはとても難しい。「視点を高く上げて」見なければいけないその難しさだけでなく、それを外部に表現しようとすれば、往々にして最終的な表現型としての言葉としては、一見陳腐な、奇をてらったようなものに落ち着いてしまう。たとえば古賀さんの日記の文体は、そこに触れずに、感情禁止という筋を通すことで、逆にこの禁止している感情はどうなのかしら、と、敢えて触れないことでそこを考えることに繋がっている。鳥羽さんの方は直接的な言葉に結実することが多いけれど、その言葉には1回だけでなく2回も3回もひねりが加わっていて、そのひねり方は文脈を追わないといけないし、文脈を逃せば平たい物言いとして捉えることができてしまう。この両者の、言わないことで語ること、言っているけれど表層の言葉のつながりではないことを言っていること、というような複層性は、やっぱりチャーリーパーカーのアドリブみたいな「そこに意思がそうあったの!」というような驚きを読めば読むほどもたらしてくれる。使われている言葉はどこにも難しさがないだけに恐ろしい。

 

自分はずっとなすがどうして好きなのかを考えてきていて、そのことがいろいろなことに繋がることにとても楽しみを覚えてきたのでした。歯触り微妙だし、あくもどうなのよ、、と思うし、色味もまぁ、、、油との相性はすごいし味噌との絡みとかたまらないし、一方で秋なすをおいしい醤油でさらっと食べるとか震えるし、しかし味自体を表現することは難しいなぁ、、とかとか。「好きな食べ物がみつからない」は自分とは全く違ってそして全く違う、深さと軽やかさを両立した展開で、「好き」を考えながら、結局は自分や周りを丁寧にゆっくりと考えてゆくその歩みを追体験させてもらえる、本当に、古い友達のことを、やっぱりいいなぁ、と思うときと同じような感情を抱く一冊だった。

 

大切だからこそ、ずらしたり揺さぶったりたたいたりして、動かさないとわからないよね、とはずっと言ってきていることで、それを表現する場(というのがいいのかわからないけれど)自分の科学研究という仕事も、「みんなこれが大事と思っているけど、ほんまかなぁ」と卯がたってみることをやってきているつもりなのだけれど(これは、「これが大事ですよね」という先人の仕事があってこその、それを疑問視することができるというような仕事なので、その点では重要性とか価値としてはどうしても低くなってしまうのだけれど)、今まさに、おそらく自分が本当にやりたいと思っている授業の最後を準備していて(もう金輪際、今回やっているような変な授業はできないだろう)、ここでは「みんなで大事だと思っているものが本当か揺さぶってみるけど、その揺さぶることがどれだけ科学的に面倒か、そして言えることがどれだけ少ないか」みたいなことを話そうと思っていて、いろいろと繋がっているなぁ、と感傷的になっているので書き残してみたのでありました。

がんばってる!

連日6時からオフィスにきて21時とか22時まで結局いろいろやっている自分は頑張ってる!!って自分で言っておこう。今日も6時半には来たけど眠くて階段でこけたし、実験室で寝落ちしてたけど会議4つ頑張りました。その間にNaOH打ったし。

 

で、もう21時になるけど測定がねぇ。。。。でも、もう無理だー2130になったら諦めよう。

 

諦めと締めってほんまにてるね。お疲れ自分!

虫取り計画

半年かけて、全力で虫取り計画立てよう。と考えを変えた。外圧への対応でしかない、のは相変わらずだけど、最後くらい内発的なところをできるだけ出しちゃおう。うん。そうしないとダメだったときに反省しきれないしね、、、

 

寝なきゃ!

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/