何かが間違っているってこの感覚は、ずっとある。ボートを漕いでいた頃、対岸の東レ滋賀と何が違うのか(何もかも、だが)、というので、夢に宇宙語で話す東レのコックスさんと練習日誌が出てきたのだった。
いまもそう。答えは実は近くにあるのかもしれないが、「答えを受け取る準備ができていない」のかもしれない。
「当たり前」に起きている現象の背後を丁寧に見てゆくことが大事なんだと思うが、その眼がない、、、、のかな。
宇宙語とおもっていたものが、突如文字として意味のあるものに見えてくるのだろうか。どうなんだろうか。どうあがいたらいいのか、それが大問題。あがければまだ良いのよね。どうしよどうしよってあたふたしているだけなのが、何も手を動かせないのがいちばんあかん。。