目の見えない白鳥さんとアートを見にいく | 集英社インターナショナル 公式サイト
自分は本を読みながら気に入った箇所を見つけると、いぬみみつける(端をおる)人なので、本を見たら、折りまくられている本(考えさせられるところが多かった本)、とそうでない本がぱっと他の人にも分かる(分かっちゃうのは恥ずかしいこともあるけど、次に手に取る研究室とか家の人が、そこを気にしながら読む面白みもあるらしいからまあいいや。実際には未来の自分と対話できるように折っているんだけれど)。
で、この本は少し分厚いこともあり、あまり折られていないように一見見える。だから、僕の本棚から本をとろうとする人は、そこで選ばないかもしれない。でもそうじゃない。この本は読まなきゃいけない本だったと思う。チャンスがあれば是非手に取ってほしい。
文体の妙で、そして登場人物の快活さに助けられて、かなり重い話題がすらすらと進んでいって、不思議な気分、でもとても気持ちの良い読書になった。子どもと二人、車の中でぼやぼやしている間に読み進めたのだけれど、ぐっとくるところが多くて、しばし曇天を見上げて、うーん、すごい、ってつぶやいてた。
芸術を如何に言葉で語るか、ってことに興味があって、アートステートメントの本とか、読んでいたこともあった。おそらく、ボートのコーチをしていて、どうやって(つたない)感覚を、感触を、印象を言葉にして伝えることができるんだろう、ってのと、大岡・谷川対談とか読んでいて、言葉で語り得ないことを言葉で語るという、こう書けば薄っぺらいけどやっぱり深くて、でもやっぱり薄っぺらいところに自分では戻りがちな問題をただぼんやり考えたかったのだと思う。そんなことをもう一度思い直して、やっぱり薄っぺらいところに自分は戻っちゃうけど、本質的にとっても大事なことだよなと改めて思った。らせん階段を上っているのか下っているのか、、、上っていると思いたい。
素直な言葉で語られているその視線のまっすぐさ、なにより真摯さに心打たれるというか、寒い冬の朝、ピリッとする感じのように、ちゃんとしなきゃいけないでしょ?って軽やかに問いかけられ続けている読書だった。本当に有り難い時間だった。
わたしたち美術館は、常にその人がやりたくてやっているのか、と疑わないといけないと思います(p187)
障害ってさあ、社会の関わりの中で生まれるんだよね(p187)
そもそも『できる』と『できない』は、プラスとマイナスじゃないんだなって、できなくても全然いいんだよって気がついた(p243)
僕らはほかの誰にもなれない。ほかのひとの気持ちになんかなれないんですよ!なれないのに、なろうと思っている気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ、いまの社会は(p319)