学生さんや研究員さんの活動について、その量と質、そしてスケジューリングについてどう責任を負うか。
ある程度のレベルを満足しなければならないという点があり、そのレベルの共有が難しいという点がある。難しいと言っている中には、どんどん甘くしてゆくことが多々あり得るというごまかしが含まれているけれども。
そのレベルが共有できたとして、そのレベルに達するタイムラインは、また各自、各内容で異なる。そこも本当は理解してもらわないといけない。が、一人一人への説明が足りない状況で、相互比較の説明が到底満足にできるとも思えない。ゼミはそういう場だったりするわけだけれど、そこがうまく機能していない。のであればクラウドでshareしたらいいじゃない、という発想なのだが。
または教員がやる作業、つまり「指導」や「添削」や「助言」を、自ら他の人のプロダクトについてやってみてもらうということも重要だろうとおもう。
いや、なんにせよ、大事な責任の取り方の1つは、どれだけフィードバックできるか、にかかっているわけで。それを、学生さんや研究員さんからプロダクトが出てこないからフィードバックできない、というのは、確かに一理あるけれど、本質的にやっぱり間違いで、、、
とかとかぐだぐだ考える時間が今朝はある、ということだな。すばらしい。