Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

いろいろな風景

* 実習お疲れ様でした

 

* 劇薬、どうつかうか、毒にもなれば薬にもなる。受け止める側の覚悟の問題だよな。

 

* ほんま毎日大渋滞

 

* 体の反応がおそらく1年前とはガラッと変わっているのだろう。経験則が役に立たない。役に立たないと思ってさあどうする?

 

* 帰ったら「お泊まり会」。花火。いろいろ考えさせられる。一進一退。一進、がちょっと不安ではあるけど。

 

* 論文2ページくらい書けただけでこの心の平安。。。。20%食らいかけていたと思ったら2%だったと判明したけど、でも0じゃない。さっさがんばろう。

 

* 新月の砂漠で見たペルセウス座流星群、あれを越えるものを見ることが残りの人生であるのだろうか。昔の人はこれを見たら、神や悪魔のことを思い浮かべるしかないとおもったくらい、圧倒的だった。怖かった。「彼は夜が怖くなるくらい星を愛した」という墓標を思い出す。

 

* カテゴリーなんて、どうでもいいじゃない?どうでもよくない?どうでも良くないときはどうでも良くないけどさ。だいたい、どうでもいい気がするんだよね。学問の領域ってなんなのよ。それに当てはまらなかったら仲間には入れてもらえないってことなの?ならいいよ、、、、、っておもっちゃう。

 

* 無名だろうがなんだろうが、いいものはいい、と褒め称える、そしてそこから勉強させてもらっているとはばからずいえる、そういう人がいる。本当に素晴らしいし、そういう人になる努力をしなければ。

 

* 渋滞中、Pat Metheny Groupの楽曲を音量上げて聴いていた。音がリズムがある、ほんとうにある、ということが信じられない、と思いながら。今でも頭でずっとなっている。

 

* これまでの経験を、本当にうまく使わないといけない所に来ていると思う。ここが本当の意味で最初で最後の踏ん張りどころなのかもしれない。ここでうまくできないのであれば、今までやってきたことは無意味だったということになる、そういう静かな覚悟を持って、そっと始めよう。10年とかの勝負じゃない。長くて5年。だめなら丁寧に敗戦処理を続けていけるだけの時間はある、とおもう。わからないけれど。

 

* 小説的解法、という造語にとらわれている。長い人生、何回かそういう解法が降りてくることがあるものだ、と思うようになった。パズルのピースが5つくらい連続でぱっとはまってしまったような、そんな感じ。あと1回可能なら、いつ降りてきてほしい??

 

* Grooveとしかいいようのない瞬間がある、そういう楽曲がある。自分の中の、その楽曲達は、演奏者全員が一斉にある程度の休符から一斉に音を重ねるのだけれど、そのタイミングがほんの少し、本当にほんの少しだけ「いい感じ」になっているのだとおもう。アタックがほんのちょっとおそらく早い。それも微妙にずれながら。ずらしながら。みんなでしゃがんだ所から伸び上がってゆくような感じ。高校の頃は通学中にひたすらその1小節だけを聴きつづけるとかやってきたけれど、今こそやるべきなんじゃないかしら。

 

* 高校の同級生にFB経由で誕生日のメッセージをおくった。ふと、彼女と話すときは自分は外国の人と話しているような心地よい距離感があったんだと合点がいった。おそらく相手もそうだったんだろう、とも。おたがい「変な人になりたい普通の人」だったのだろうし、今も頑張っているけれど、どう足掻いても変な人になりきれないのだろう、われわれは。そんな風に彼女を評する人はあまりいないだろうけれども。

 

* と、日常こんなことをふわふわと考えていた、という防備録でありました。ああ、Benのあの論文はほんますごい(全く別世界で戦ってるなぁ)、とか、Karenの3Dモデル、勉強するためにMatlabやらないとなぁ、、とかもありますが。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/