Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

申請書の図

これも何十回(何百回?)言っている、、割には、未だに個人的な意見でしかない気もするけれど、、、

 

 

申請書に載せる図、って、スペースを取るし、目立つし、とても大事、貴重なものであるはず(それは論文も同じか)。で、申請書は、変な話、審査官が懇切丁寧に、書かれていない内容を行間から読み取って、必死に理解して、で審査を行う、というものにはなっていない。書かれている内容以上のものを読み取るというのはあり得ない(それはあまりにもunfairだ)から、書かれていることだけでもちろん勝負になる。

 

 

で、図だ。論文の図は、、、、、たとえば横軸に炭素同位体比、縦軸に窒素同位体比を取ったりすると、縦軸は「栄養段階の指標」とおもって、そう解釈して論を進めるとする。で、その図の中に、「窒素同位体比が高ければ栄養段階が高いですよ-」とか「炭素同位体比が低い場合はメタン依存ですよ-」なんてことを書くことはない。論文の図の読み方を勝手に規定することはおかしい。読み方についてはいろいろな可能性があり、その可能性を1つ1つ潰してゆき、自分たちが考える読み取り方が最も妥当であろう、ということを示していくのが、論文の中で行われる「議論」になるからだ。端的に言えば、データの読み取り方を、自分たちの読み取り方を強調するような表現は、誘導、misleadingと感じられる。気分の良いものではない。

 

 

だけれど、申請書は、少なくとも日本の科研費や学振の申請書のボリュームでは、そういう「議論」をするだけのスペースは与えられていない。であれば、いかに、最短距離で、「こういう図からこういう解釈ができて、こういう新しいことがわかる」という筋をわかってもらうか、が大事であり、そこに「ほかの選択肢についての議論」はあまり挟み込めない(無論、重大な対立仮説については言わないといけないし、そういう重大な対立仮説に気がつかないほど審査官はアマチュアではない)。

 

 

となるとね、たとえば縦軸を「窒素同位体比」と記すのは正しいのだけれど、それだけじゃなく「貧栄養<-- 窒素同位体比 --> 富栄養」とか「自然起源 <--   窒素同位体比 --> 人為起源」みたいに、軸の説明を入れるとか、図にベクトル矢印を入れて「こっちに向かっているデータは栄養段階の上昇を示していますよ-」みたいな説明を入れないと、解釈ができないと思うのです。審査官は。

 

 

というので、論文ではないのだから、図には積極的な説明を入れましょう、ということを常にコメントしています。微生物群集構造が時系列でいろいろな値を示している、の図も、そこから何を読み取ってほしいのか、を積極的に書く。バラバラしていることが見て覚えてほしいことなのか、回復するところなのか、いつもあるOTUはdominantだったりすること、なのか、そこは迷わせてはいけない。申請書に当たっては迷わせてはいけない、、と思うのです。

 

 

「首根っこを押さえつけて、『この図からはこんなことがこう読み取れるんじゃ!』と徹底的に教え込む」 という気持ちが大事なんじゃないかとおもうのです。どうなんだろ。

 

 

図が出てきて「鮎の漁獲量時系列データ」みたいなcaptionがついていても、それでは何をどう読み取ったらいいの?と思うのです。で、本文を読んだら書いてあることもそれなりにあるけれど、その手間がかかる申請書と、かからずどんどん記憶に残しながら読み進められる申請書と、どちらが、、、、と思うのです。

 

 

で、図をそういじるのは大変。時間がかかる。のでしんどい。

けれど、逆に審査する側になったら、そういう図、つまり丁寧に説明まで気を配ってくれている図は、すぐわかる。その場合

時間をかけられている申請書-->図がわかりやすい+大体よくねられている-->採択

という疑似相関だらけの関係がある気がする。いや、とにかく、やっぱりいい点をつけている気がするのです。

 

 

皆さんもう少し一緒に頑張りましょう!

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/