いっぱい大物が周りにいるのでありますよ。いい大物も、えーって大物も。
自分は小物と思っているけれど、でも、それは、この年になるとそう見てもらえないことも多々あるわけで。多々ある、というのが自分で分かっていないくらい多々あるんだろう。物理的にでかいけど自分は些細な存在です、と思っていたって自分がそう思っているだけ、社会的にはもうそれは許されない、というところにどうしても気持ちがついていかない。
その結果、若い人たちに悪影響を与えてしまっているところが必ずあると思う。さらに恐ろしいのが、その悪影響が見えてこない。見えないようにしてくれている、というのも怖いが、見えているはずなのに見ていない、という可能性が極めて高いことが恐ろしい。
局所最適の谷は深くて暗く、甘美な香りをまき散らしていて、いつの間にかずぶずぶになってしまう。いくらでもいい訳なら並べられるし。
さて、どうしたらいいんだろうか。システムの問題として、ばっさり扱わなければ駄目なんじゃないだろうか。年をとれば経験はたまる。成功体験もたまるだろうけれど、それは弊害もためてゆく。効率は上がるだろうけれど、全体としての活動量はどうせ落ちている。どこでスイッチすべきなんだ????