Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

『読む力』松岡正剛・佐藤優 著 より

長いけれど引用します(p198-p200)


松岡 また、ちょっと話は変わるのですが、「通俗化が下手」という点では、エコロジーの議論が駄目だなあと感じます。とりたててがんばって欲しいと思うのではないけれど、またにはだまされるくらいのことを書いてくれてもいいのに、いっこうに突き刺さってこない。ちょっと応援のしようがない。比較するのも何ですが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(一九六二年)やマット・リドレーの『赤の女王』(一九九三年)のような力を持つ本には、お目にかかれない。


佐藤 日本の環境論者は、ほとんどがかつての新左翼方面のメンタリティーを引きずっていますからね。新左翼ソ連崩壊に直面して、本来はソ連スターリン主義体制なんて、あの人たちには関係なかったはずなのに、完全に自信を失ってしまった。その結果、環境問題に向かったという感じですよね。いまだに、なにか自分探しをしているように見えます(笑)。反差別闘争が、魅力のある論理を作れないのとよく似ている。


松岡 先程挙げた『ソロモンの指輪』とか、『攻撃』に著されたような、ベーシックな環境生命観がないのにエコで運動を作ろうとしても、オリーブの木にもならないし、緑の党にもなれない。せめて佐倉統くんの環境論になっていないと困ります。結局、クジラもどうしていいかわからない、マグロもどうしていいかわからない。たばこだけはやめましょう、みたいになっちゃった(笑)。


佐藤 本当にそうですよね。だから、たばこの問題にしても、近代の自由権の核にあるところの愚行権、すなわち「他者に愚かと評されようが、迷惑を掛けない限りじゃまされない権利」というものをどう考えるのか、という議論にならないのです。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/