足りないものに惹かれるのは当然なんだと思う。
であったとしても、では、足りないものを何とかつぶしてきた、完璧に近いものに対して、「足りない部分が足りない」というのは正当な評価とはいえないのではないか。「さわり」や「のりしろ」というものを大事にすることはもちろん大事だ。ただ、時と場合によるのではないだろうか。
隙がない
という言葉が否定的に使う場合は、よほどその「隙」に対して責任をとれる状態でなければ、無責任な立場になるだけではないだろうか。。。理屈と屁理屈の間の危ない関係と似ている気がする。
足りないものがある場合、それが逆に、足りている、とくに圧倒的に足りている部分を味付けする場面というのものがある。確かにある。しかし、足りていない、という事実は事実だと言うことに目を背け続けるには無理がある。その無理を通すには、その足りない部分を、何か他の手段で補填するしかない。それができるのだろうか。
20代は長所で評価される。30代は短所で評価される。では、40代は、50はそして60は?