Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

覚え書き

今後に向けての覚え書き

* 文章の分量が与えられたら、その意味を考える。例えばB4一枚以内、というのはそのいっぱいいっぱいからたった1行まで、可能な文章量の幅は広いけれど、なぜB4 1枚以内、と最大値が与えられているのか??大学入試の時は空欄の8割は埋まるはずである、と教わったが、、、さて

* 上記にも通ずることだが、出題者の気持ちになること。わざわざ分量を決めていると言うことは、どういうこと?なぜ決めなきゃと思うのか?なぜB4 1枚となったのか?などなど。

* 書かねばならないことが全て書かれているのか、そのための分量配分は?この辺って、もしかすると、公務員試験などを受ける段になって、始めて考えることなのか?教わらない?

* 聞かれていることに答えているのか?研究において仮説に対応した結論になっているのか、と同じこと。

* 自分の意見であるか、内容が具体的であるか。小学生の頃の読書感想文のように、本文から文章をぴっぱってきて、分量をかさ増しするようなことをやっても、悲しいだけだ。

* 書かねばならないのは自分の意見。本来、限られた分量の中で書かねばならない自分の意見があふれる程あって、それを推敲に推敲を重ねて、なんとか限られたスペースに納める、という流れになるはず。しかし、あっぷあっぷで何とか向こう岸に着いた(しかも向こう岸が与えられたスペースの半分だったりする)、というのが多いのではないかしら。

* なにをどう言い訳したって、書いたもの、紙の上に書かれたものだけで勝負しなければならない。論文書くときも言うけれども、その言葉だけで相手を説得しなければならない。いや、こう思ってます、ああ考えてます、と口頭でいったって、その言葉が紙の上になければどうもしようもないということをどこまで厳しく考えているか。

* 逆に、書かれている言葉には大変な重みがあること、設定されている内容は、多くの議論の結果であること、に気持ちを届かせることができるか?論文を読むときによく言うけれど、ある言葉を使うことの重み、異なる言葉を使うときの重み、それにどこまで寄り添うことができるか。書かれている言葉でしか伝えることができないのであれば、なぜ、その言葉を無限の言葉の海から拾い上げねばならなかったのか。本当にその言葉でいいのか、という吟味、推敲、について考えることができるか。書かれて残った言葉は絶対だ。

* 文句、いちゃもんと、批判の間を意識できているか

* 分量を守るのは当たり前。ルールの異なるスポーツをやってもらっても困る。

* 過去の歴史を用いて来年は双方向の議論をした方がよい

* 「具体的に」「自分の意見を」というタームを強調すべきかもしれない

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/