Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

高校模擬授業準備中

久しぶりの休日、、、、なのだけれども、もうすぐある某高校での模擬授業の準備中。


大学で何を学ぶか、何を学ぶことができるか、ということをちょっと考える。今の言葉であれば


「問題」のとらえ方を学ぶ

「問題」の定義の仕方を学ぶ

「問題」の発見の仕方を学ぶ

ということになるのかな。


世の中、といったって、職場の小さな環境であれ、プログラムのバグであれ、大きな世界規模の事柄であれ、友人関係であれ、いろいろな事柄において、その不具合を解消する必要があるとした場合に、どのように解決できるか、を考えていって、実際に解決してゆかねばならない。


しかし、そんな簡単なことではない。多くの場合、なぜ簡単でないかと言えば、おそらく、解決する目標が、ピントがずれたものになっているのだ。


なので、目標をしっかりと見定めて、解決できるところまで具体化できること、そのためには、問題の枠組み、問題の定義をしっかりと見定めて、現実になんとか対処できるような形に整理し直して、解決へと、目標となるべき状態へと、環境を変化させてゆく、ということが必要である。


何度も書いていることだけれども、よい仮説、よい問い、が一番大事であって、それがうまくできれば後はやるだけ。となると、どのように問題の形を整えるか、輪郭を明らかにするか、が問題である。


そこには、本当にいろいろな考え方を持ち込むことが重要だと思う。アヒルに少しずつ問いかけながら問題を整理してゆく方法だったルだろうし、思い切ってとにかくありとあらえるものをためしてみて、出てきたアウトプットをえいや!とまとめてみることで、全体の傾向を見ることもできるだろう。そんなアプローチは、文系理系とわず、いろいろな研究で一つ一つ身につけることができる。文化人類学的な研究、美学の研究、音楽、自然科学、形而上学、、、、


振り返れば、それらの「やりかた」の特徴を十分に理解するために、高校までいろいろな基礎を学んできているのだ。数学の場合分けはMECEそのものじゃないか。日本史の勉強をするときに、僕はありとあらゆる教科書を手に入れて、とにかく読んで、同じ1つの歴史であるものを少しずつ異なる言葉で書かれていることから、なんとか流れをつかもうとしていたけれど、そんなやり方も日本史というものの勉強の中でよくやられていたこと。国語は言うまでもなく、言葉のつながりをしっかり理解することが、現状をしっかり理解することにつながる、だからそのためのトレーニングだろうし、英語だって、文法というものを基礎に、構成を解析してゆくことなんて、まさに「解析」そのものだ。


こんな、誰もが言っているであろうことを、でも、なんとかもうちょっと整理して、自分の言葉で投げかけてみるのはどうなのだろうか、と自問自答しつつ準備中。。。ちょっと頭を冷やしてこよう。。。


と、草間彌生の特集号を見てやっぱりくらくらしたりしてかえってきた。手には「アートを生きる」(南森史生 著)。デザイナーからキュレーターにちょっとずつ興味は移行してゆく、、かな。

え、えっと、石岡瑛子氏と草間彌生氏をなぜか混同しておりました、、、汗。「とてつもなくすごそうな人」カテゴリーとしては同じなのですが。はい。。。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/