Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

夏休みの自由研究

自由研究というのは本当につらかった。何をやったらいいかわからないし、つかむことにできない空気のようなものを必死につかもうとして、でもどうつかんだらいいのか、そもそも何かそこにあるのかわからない、そんな状態だった覚えがある。


何をやったらいいのかわからない、という状態にいる人を見るときに、あの頃を思い出せばいい、と、最近になってようやくわかった。自分はごくごく限られた範囲でのことについては、何をやったらいいのかかなり先まで見えているのだろうけれど、ほかの多くのことについては、ほとんどあの頃と変わらない。何をやったらいいのかわからない、考え方を知らない状態なのだ。それが身にしみてわかる日常は大切だ。


何かを考えるためには手段が必要だ。言葉という手段を我々はまず最初に執るけれど、本当は音楽だって絵画だって、それこそ体の動き一つからだって考えることはできるはずだけれど、なかなか言葉以外で考えることを突き詰めることができる人は少ない(そういうひとが「芸術家」なのだと思うけれど)。そして、言葉で考えるときには、どうしても知識が必要だ。その最低限の知識なしに考えようとしても考えることができるはずがない。研究の前には勉強が不可欠だ。言葉で考えようとするのであれば、発声練習が、文章を書く練習が必要だ。そのところをどう考えるのか。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/