友人からイヤフォンが送られてきた。まいった。わからないふりをしていたけれど、ごまかしきれない。休符の美しさが違う。そんな言葉に帰着してしまうのはちょっと衝撃的だ。
手元にあるものとの差は、僕のぼけた耳にすらごまかしきれないけれど、一方で良い音を電車の中で求めてもしようがない。このイヤフォンは、おいしいお菓子のように、家で特別なときにだけにとっておこう。
一緒に本も送られてきた。池田晶子さんの著作だった。めくってみた。やられてしまった。はじめてこの人の本をめくったのは、忘れもしない、昔々の恵文社一乗寺店。学生の頃、とある夜、眠れず、何を思ったか、とぼとぼ歩いて夜中の怪しげな店内に。ふらふらと普段見ることのない本を眺めていたら出会ってしまった。埴谷雄高氏との対談。あまりの衝撃で本当に動けなくなってしまったのを覚えている。あまりにショックでそのときには買わなかったかもしれない。全然わからないのに全部知っているような感覚。あのころと同じ質の、ぼやっとしているけれど、粘性の高い、「よくわからないこと」が感じられて、どきどきしてしまう。
「わからないこと」は、理解されるべきであって、否定されるべきではない --pp56