Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

Positive feedback

相手に対して敬意を払うということは、巡り巡って、自分自身の行動に対しても、同等に評価している、変な感じがするが、同等に敬意を払っている、ということの表れなのではないだろうか。相手にもらった時間に対して、ありがとう、と丁寧に伝えることは、自分が誰かに払う時間に対しても、自分自身は同じように大事に思っている(たとえそれがその人に評価されなくても)、ということがあるのだと思う。


敬意をきちんと表せる人は、敬意をちゃんと受け取ることが結果多くなり、そういった表現と疎遠な人は、ひたすら疎遠になってゆく。その状態から抜け出すのは自分自身の努力でしかできないが、疎遠な人は、自分がそんな状態になっていること自体に気づくチャンスすら減ってゆく。


きちんと誤りを認めて反省できる人に対しては、周りの人もちゃんと誤りを指摘してゆくことができるが、認めようとしない、謝ろうとしない人に対しては、だんだんと周りもその問題を指摘しなくなってゆく。結果として、問題に気づかないまま、問題を抱えたまま進んでゆき、いつか圧倒的な量の欠点にまとわりつかれて、前にも後ろにも進めなくなってしまう。


始まりはほんの些細なことだったのに。そして、いつの瞬間でも気づくチャンスに囲まれているのに。


富めるものはますます富む、ということの経済的な側面はわかるようでわからない。経験することがないだろうからわからないのだ。しかし、精神的な面では、尊敬する人々を見ていると本当によくわかる。すごい人はどんどんすごくなるばかり。上向きへのpositive feedbackをかけている人のすばらしさ、その努力の大変さは、下向きにかけてしまっている人には感じることすらできないのだろう。


そういう人々の、聞かされて悲しくなるだけの訴えには、もう耳を傾けることはできない。そんな訴えは空に投げてしまい、必死で努力している人に、きちんと敬意を払えるように、そちらを向いて進むことの方に、ただひたすら全力を捧げる。あえて無視し続けることで気づくかもしれない、という一縷の望みだけは残して。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/