Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

勝手な言い分になっとる

あれをしてほしい、と思いながら、あれはやり過ぎで困る、ともおもってる。どっちなんだ。

 

そこのバランスをとりたいならば、対話が必要で、対話の努力をしなければならない。だけれど、そこもサボっているんだから仕方ないのではないの?

 

と、結局、自分がサボっているところに帰着するわけで、ならばサボらなければいいやん!と。いつもの結論に。

 

勝手だなぁ。。。ほんま。なんとかせいや。

折れやすい

しかし、自分の心持ちがこれほど折れやすいのかと毎日思う。もうちょっと脳天気にやっておけばいいものを、、考えすぎな部分はあるが、考えないで「失敗」するなんてとんでもない、とやっぱり思ってる。

 

浮かんだり沈んだり、春の天気のようだとおもえば、しかたないとも思えるかも。

しかし、今日はお休みをとっているはずなのに超絶忙しかったなぁ。。。

しかし

すっとやはり血の気が引く瞬間がある。結構ある。

そんなもんだと言われりゃそういうものだという気もするが、そうなんだろうか。

しごとってのはそういうもんだ、っていうのはほんとうなんだろうか。

 

低空飛行も楽じゃないなぁ。

事実を認めることは固定ではない

30過ぎた人のいうことを聞く必要はない。それはいいんだが、

 

いっていることを鵜呑みにしたりそのまま従うという意味での「聞く」はいらないが、実体験に即した経験からくる言葉をいったん聞いてみる、という意味での「聞く」は支持してほしい、

 

と考えてる。明示的に考えたのは滋賀に行く電車の中で、ようやく、だけれども。

 

そして、現実を認めることと、その現実にがんじがらめにされてしまうことは、同様に区別できるし、区別すべきだ。認めることは仮固定、その固定されるべきものを実際にどう固定すべきかは、別問題だと考えていいはずだ。嫌な事実には向き合わねばならないが、その事実のまま過ごさねばならないはずはない。

 

仮固定とすることで、現実と戦う地盤ができ、そこから走り出す力もわく。それでいい。

 

ようやく歯車がほんの少し動き始めた、かもしれない。

そ・し・て!

自分の原稿をまっさらな気持ちでabstractから読み返して、あれ、意外とおもしろいやん、、、と思いきや、ついているコメントの厳しいこと!!!まじかいな。こんな厳しいこと言ってもらってるのか。そりゃ改訂進まねえはずだ笑

 

じゃなくて、ここを克服しない限り、投稿なんてあり得ないわけで。全力で書くべし。

とりあえず眺めるだけでも今日はできたらだけ天に昇る気持ちだ、ってことで。

 

しかし、ほんまさっさと進めないと、次の3本が待っているし、本当に取り組まねばならない4本目もある。どうすんねん。

つ・い・に!

自分の論文ファイルを開くことができた!!!

前回は20231210

その前は20230729

その前は20230708

 

なにもいうまい。とにかく一鍬いれよう。もうあと1時間もないけど、とにかく方針だけでも・・・・

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/