メイルにかかる時間が長すぎる。音声入力とかしたところで、とても改善になっていない。これはあかん。
勝手な言い分になっとる
あれをしてほしい、と思いながら、あれはやり過ぎで困る、ともおもってる。どっちなんだ。
そこのバランスをとりたいならば、対話が必要で、対話の努力をしなければならない。だけれど、そこもサボっているんだから仕方ないのではないの?
と、結局、自分がサボっているところに帰着するわけで、ならばサボらなければいいやん!と。いつもの結論に。
勝手だなぁ。。。ほんま。なんとかせいや。
折れやすい
しかし、自分の心持ちがこれほど折れやすいのかと毎日思う。もうちょっと脳天気にやっておけばいいものを、、考えすぎな部分はあるが、考えないで「失敗」するなんてとんでもない、とやっぱり思ってる。
浮かんだり沈んだり、春の天気のようだとおもえば、しかたないとも思えるかも。
しかし、今日はお休みをとっているはずなのに超絶忙しかったなぁ。。。
しかし
すっとやはり血の気が引く瞬間がある。結構ある。
そんなもんだと言われりゃそういうものだという気もするが、そうなんだろうか。
しごとってのはそういうもんだ、っていうのはほんとうなんだろうか。
低空飛行も楽じゃないなぁ。
事実を認めることは固定ではない
30過ぎた人のいうことを聞く必要はない。それはいいんだが、
いっていることを鵜呑みにしたりそのまま従うという意味での「聞く」はいらないが、実体験に即した経験からくる言葉をいったん聞いてみる、という意味での「聞く」は支持してほしい、
と考えてる。明示的に考えたのは滋賀に行く電車の中で、ようやく、だけれども。
そして、現実を認めることと、その現実にがんじがらめにされてしまうことは、同様に区別できるし、区別すべきだ。認めることは仮固定、その固定されるべきものを実際にどう固定すべきかは、別問題だと考えていいはずだ。嫌な事実には向き合わねばならないが、その事実のまま過ごさねばならないはずはない。
仮固定とすることで、現実と戦う地盤ができ、そこから走り出す力もわく。それでいい。
ようやく歯車がほんの少し動き始めた、かもしれない。
そ・し・て!
自分の原稿をまっさらな気持ちでabstractから読み返して、あれ、意外とおもしろいやん、、、と思いきや、ついているコメントの厳しいこと!!!まじかいな。こんな厳しいこと言ってもらってるのか。そりゃ改訂進まねえはずだ笑
じゃなくて、ここを克服しない限り、投稿なんてあり得ないわけで。全力で書くべし。
とりあえず眺めるだけでも今日はできたらだけ天に昇る気持ちだ、ってことで。
しかし、ほんまさっさと進めないと、次の3本が待っているし、本当に取り組まねばならない4本目もある。どうすんねん。
つ・い・に!
自分の論文ファイルを開くことができた!!!
前回は20231210
その前は20230729
その前は20230708
なにもいうまい。とにかく一鍬いれよう。もうあと1時間もないけど、とにかく方針だけでも・・・・