人間原理、って、anthropic principleっていうのですか? 昨日のセミナーではそんなことを思ってました。自分たちが観測できるもの、観測できるかもと思っているものの、我々のスケール依存。その依存性に自分たちはどこまで自覚的なんだろう。
ホーキングがこれを支持したってのを読んだのは大学生の頃だったか、へー、へんなのーってそのときは思ったけど、ずっと頭から離れない。
観測不可能性について、あほな頭で一生懸命考えて、郡司ペギオ幸夫の小論で「光速でしか情報が伝わらないなら、究極的に現実を観測できることはないのでは?」みたいなことが確か書いてあって、もう、そうか、それでいいじゃん、どうせ究極的に観測できなくても、目の前の「生活」に役立てられることはいくつかあるはずだよね、なんてことで「研究」をやっていこうと決めたのでした。昔々。
そんなことを、perturbationとは何か、ってな話を聞きながらぼんやりと思い出してました。でも、そんな昔話を、しかも英語でする勇気は正直なくて、一人ただぼんやり考えてました。noiseとsignalとpatternの違いはもう自分にはぶっちゃけ分からないんだよな。。。区別がいるのか?って方向に考えを持って行きたいくらいで。