Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

卒論修論万歳

どれだけ大学が訓練の場となってゆくとしても、単なる知識の提供源となってゆくとしても、学生さんは、最後の最後、卒業論文修士論文として、まっさらな、何もないところから何かしら創ることが求められている。そこに望みは絶対にある。

 

 

farだろうがnearだろうが、transferable skillなんてやっぱりくそ食らえだ。そんな薄っぺらいことを僕らは学生さんと生み出したいのではない。

 

 

死んだらしっかりしてくる、という小林秀雄(が、川端康成の言葉として、だったとおもう)の言葉を思い出すが、この間の山下達郎のライブも、昔に戻ればPat Metheny GroupのThe Way Upのあの最初の音も、自分の初めての「論文」も、最初は何もなかった空間に、秩序が生まれてゆく。僕らだってなんとかして、言葉や図表が少しずつ埋まっていって、何かしらのものに創り上がる。創られてみると、さぞしっかりしたものか、とおもうような、不思議な感じがする。その創り出すときに、ほんのちょっとしたことの積み重ね、今まで幼稚園から、それこそ砂場で学んでいたことが、必ず小さな結晶を創っている。すべてはこのためと言ってもいい。白紙から何かを創り出すこと。ゼロから創り出すこと。それを、ある一定の基準で評価を受けながら少しずつ良いものにしてゆく活動なんて、そうそうない。卒論、修論、本当に素晴らしい活動になるはずのものだし、どれだけ重みを持たせた中身とできるかは、教員に多くの責任がある。頑張れば頑張っただけ答えが得られるはず。そう考えたら、本当に大学教員って有り難い。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/