Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

本当にありがとうございました

最後にでたのは、この言葉だった。 

 

 

名簿にある戦歴をたどると、西村光コーチがオフィシャルに京大ボート部に関わってくださったのは、我々の代、そしてその次の代までとなっている。

 

我々の代では自分は主将を、次の代では西村さんが対校コーチ、木庭もそこに名前を重ねさせてもらっている。当初は新人コーチをやっていたのだが、途中からだったか、対校コーチをやることになったのだった。経緯は全く覚えていない。ただ、残っている感触はただ一つ、西村さんの目になるのだ、ということだった。

 


週末に東京からやってきてくれる西村さんのために、平日クルーがどういう調子なのか、どういう練習をどうこなしてきているのか、そういうことを目一杯感じ取って、西村さんに伝える、それの繰り返しだったと思う。自分は1回生のころから、曲がりなりにも「コーチ」をやってきて、それまでの自分としてはあり得ないことだったのだけれど、いろいろな人とぶつかることを厭わないくらい我を強く持ちながらコーチングを考えていた。いろいろな人に精一杯反発していたと思うし、信頼する仲間にもどうその信頼を伝えていいのか、わからないままもがきながら4年間過ごした後だった。その後の1年。

 


ある人を心底信頼して、その人の助けになることで、大きな目標に近づけるはず、とおもって、誠心誠意「尽くす」、いや、尽くすとはおもってなかった。ただひたすら、誠心誠意「やる」、ということ、そのことに没頭した1年だった。

 

今振り返ると、本当に120%、西村さんの「下」というかとにかく手足になるのだとおもって、ひたすらクルーを観た。観て、考えて、話して、悩んで、観て、確かめて。クルーを観て、オールのレシオを2人それぞれ勝手に、クルーにもお互いにも黙って変えていて笑ったのもこの頃ではなかったか。もう何もかもがごちゃ混ぜになっている気もするけれど、すべて真剣な空気だったことには間違いはない。

 


やるべきことが一点に絞られている、ただ、そこに全力で向かえばいい、その絶大なる安心感はとてつもないものだった。ただ、ひたすら進めばいい、あの全方位的な安心感は何だったのか。

 

西村さんから学んだことの一番は、あの安心感だったのかもしれない。あれは学んだことといえるのか、学んで自分が他の人に与えられるものなのか、全く定かではないけれど、その感触だけは強く残っている。そしてそれが人生の理想の一つの形だとも思っている。

 


今日、無理をお願いして、いろいろな人の思いも胸に、お別れのご挨拶をさせていただいた。いい顔でした。高野監督と西村さん、木庭が相談したいと思っていた人が、と言いかけてやっぱり泣けてしまった。本当に、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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